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香木のつぶやきWhat is KOUBOKU

取り扱う沈香について

当店で取り扱う沈香は、合法的に独自ルートにより、直接現地から仕入れております。

ベトナム産シャム沈香を中心に取り揃えておりますが、伽羅をご要望の際は一度ご連絡ください。
いずれも沈香の芳香を楽しんでいただけるよう、香り重視のラインナップとなっております。

沈香は、「天然沈香」および未加工の「自然栽培沈香」のみのお取り扱いとなります。

当店の「刻み」は、品質確保のため、専門業者による「国内加工」となります。

業務用

寺院様やお線香業者様で、業務用にまとまった量がご入用の商品がございましたら、手配の可否につきまして、お電話・お問い合わせフォーム・メール・FAX等でご気軽にお問い合わせください。

ご相談

高額商品につきましては、事前に指定場所にてご覧いただくことも可能ですので、一度ご相談ください。

香木について

香木とは、広義で言えば「良い香りのする木」を指しますが、ここでは狭義つまり香道で使用される芳香を放つ木「白檀(びゃくだん)Sandalwood」「沈香(じんこう)Agarwood」「伽羅(きゃら)Aloeswood」のうち沈香を中心にお話をします。

沈香(じんこう)について

ベトナムを主とした東南アジア(中国以南、インド以東のアジア地域を指し、インドシナ半島、マレー半島、インドネシア諸島、フィリピン諸島なども含みます。)の山岳や密林地帯に生息するジンチョウゲ科ジンコウ属(学名:アクイラリア・アガローチャ Aquilaria agallocha)の植物を指します。

この沈香樹は、20mを超える樹高の高い常緑樹で本来年輪のあまりないような軽い木です。
この沈香樹が風雨や病気、害虫などによって木部が傷つくと、それを治すためにダメージを受けた部分やその周辺に樹液を分泌し、やがてそれが固まり樹脂となりダメージを最小限に留めようとします。
この時、樹脂となる樹液を分泌する特殊な管状の組織を水分や養分を運ぶ組織の他に持っていることが沈香樹の特徴と言えます。その後、傷つき樹脂を蓄えた木が自然枯死し、樹脂の部分が土や沼に埋没すると、長い時間をかけバクテリアの働きによって樹脂の成分が変化し、独特な芳香を放つ沈香が作られます。

現在目にする沈香は、地中などから採集された沈香木を乾燥させ、樹脂以外の木部を削り取ったものということになります。
この沈香木は、比重が0.4と非常に軽いのですが、樹脂が沈着することで比重が1.0を超え水に沈むようになります。
水に沈む香木つまり「沈水香木」と呼ばれ、沈香の由来となっています。
沈香は産出される場所によってその芳香は異なり、さらには同じ木であっても部位によって異なります。

沈香樹は、成木になるまで20年以上かかると言われています。更に樹脂の成分が変化し沈香になるには50年を要し、高品質な沈香となると100年から150年かかるともいわれています。同じ品質の沈香を人工的に作り出すことが極めて難しい所以です。

伽羅(きゃら)について

沈香は香りの種類、産地などから、いくつかの種類に分類されています。その中で特に質の良い最高級なものが伽羅(きゃら)と呼ばれています。沈香は東南アジア各地で産出されるのに比べ、伽羅はベトナムの限られた地域でしか採集されません。

沈香は、サンスクリット語(梵語)でaguru(アグル)またはagaru(アガル)と言われ、ラテン語では古来aloeの名で呼ばれていました。現在英語ではAgarwoodと言われています。普通の沈香の含油量が多くても4割に満たないのに対し、伽羅は5割を超えるといわれています。この油分が多く色の濃い沈香をkālāguru(カーラーグル)、つまり「黒沈香」と呼び、これが「伽羅」の語源とされているようです。英語にもAloeswoodの別名があります。中国では、伽南香、奇南香の別名でも呼ばれています。

一説によると、沈香の樹脂は乾燥しているのに対し伽羅の樹脂は独特の粘りがあることから、伽羅を産出する沈香樹は品種が微妙に異なるとも言われています。

伽羅はベトナム中部から南部の一部の地域でのみ産出し、それ以外の地域からは伽羅は産出しないのでインドネシア産やマレーシア産、タイ産、カンボジア産伽羅は存在しません。ただしベトナム、ラオス、カンボジアの国境近くの地域で産出することもあるようですが、ほとんどがベトナム産として流通しているようです。

香道で最高とされる東大寺の黄熟香(蘭奢待)は、宮内庁第2次調査で成分分析され、ラオス産の沈香である可能性が高いと報告されています。

ワシントン条約について

ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)とは、野生動植物の国際取引が乱獲を招き、種の存続が脅かされることがないよう、取引の規制を図る条約です。輸出国と輸入国が協力し、絶滅が危ぶまれる野生動植物の国際的な取引を規制することにより、これらの動植物の保護を図る(国内での移動に関しては、制限は設けられていません)。絶滅のおそれのある動植物の野生種を、希少性に応じて3ランクに分類、これらを条約の附属書Ⅰ、ⅡおよびⅢに分けてリストアップし、合計約30,000種の動植物を取引制限の対象とされています。象牙なども指定され厳しく規制されています。

沈香はその希少さから、附属書II(絶滅のおそれのある種ではありませんが、その種やその種由来の材料が違法な手段で捕獲や採集、取引が行われるのを規制するために掲げられています。そのため附属書Ⅱに掲げられた種の商取引の際には、輸出国の輸出許可書〔その取引物が違法に入手されたものではなく、その個体が適法に捕獲・伐採されたものであることを認めるもの〕が必要となります。)に指定されており、国際的な取引が規制されています。

沈香採集の近況

沈香樹は、樹木の密集したジャングルの中に育ちます。人の住まない、辿り着くのが困難な場所です。一般的にジャングルに住む専門的な技能を持つ少数民族が沈香を採集します。数人でパーティーを組み、簡単な工具だけを携えて、徒歩でジャングルの奥地へと入り込んで行きます。通常、一回の採集に要する期間は少なくて20日、長いと2,3カ月と言われています。その間、世間から隔絶した環境で、食料を調達し、夜露に濡れ、猛獣や地雷といった危険にさらされ、蚊や虫から逃れながら沈香木を探すことになります。それでも沈香を採集できるとは限りません。

年々天然沈香の採集量は減少の一途をたどり、ベトナムでは枯渇したのではないかと言われるほどです。

最近ではお金のある経営者が、雇った採集者(ハンター)をヘリコプターでジャングルの奥地に送り込み、10日あるいは20日後に補充の食料や交代要員を載せたヘリを再び現地に向かわせ、採集した沈香など引き取り帰るというようなことも行われています。

古渡伽羅・沈香について

江戸時代以前には流通量の少なかった伽羅や沈香も、大正後期から昭和30年代になると高品質なものが日本に入ってくるようになりました。特に昭和30年代から50年代になるとベトナム戦争終戦後に育った高品質のものが流通するようになりましたが、現在の最大消費地である中国やアラブ諸国などは、今ほどお金もなく自由に貿易もできない状況でしたから、当然香木が集積されていた香港では高品質なものが今よりもかなり低価格で取引されていました。

そこに目を付けたのが、当時高度成長期にあった日本の香舗などで、最高品質の伽羅や沈香を買い集めストックしたり国内販売することができたということです。このような理由から、高品質な伽羅や沈香が枯渇し始めた産地よりも日本国内の香舗や寺院、旧家のほうが高品質な物があるという現象が起きたということです。

最近の沈香事情

もともと香木や香料は、中国では宗教儀礼に用いられ、アラブ諸国ではoudと呼ばれ大事な人を家に招く時に沈香が盛んに焚かれ香りを楽しむ文化がありました。

ところがその希少さから最近の中国では投機の対象とされ、オイルマネーのアラブ諸国では惜しげもなく焚いたり香水用に使用されるため、採集量の9割が中国とアラブ諸国に買い占められ、残りの1割しか日本に入ってきません。さらに品質の良い高額なものから買われるため、日本が高品質のものを手に入れるのはとても困難になってきています。実際に産地では、沈香が採集されたという情報が出ると、品質を確認することなく大金で丸ごと買われ、後で選別するといったことが行われています。

このようなことから、東南アジアの産地では、沈香の採集量は減少の一途をたどり、中国での相場は日本に比べかなり高い状況になっています。

そこで中国が目を付けたのが、日本にある古渡の伽羅や沈香でした。4~5年前の日本の相場は中国に比べかなり安く、何よりも高品質な物が残っていました。緑油伽羅などは日本にしかないとまで言われていたほどです。有名香舗には連日中国人があふれかえり爆買いし、地方の香舗や寺院、旧家まで出向き探し求めていました。最近では多少鎮静化したと言われていますが、まだまだ有名香舗には多くの中国人が伽羅や沈香を求めてやって来きているそうです。

天然沈香の入手がますます困難になる一方で、栽培沈香の栽培量も増え品質も向上してきています。残念ながら、ここでも中国が高品質なものから買い集め始めているので、なかなか高品質な栽培沈香を低価格で日本に入れるのは難しくなりつつあります。
大手線香会社や有名香舗では、自社でプランテーションを経営し栽培しているところもいくつかあります。

天然沈香と栽培沈香

天然沈香は、沈香樹が風雨や病気、害虫などによるダメージを受け樹脂が分泌されることによって作られます。それぞれの条件によって、樹脂の多い物や少ない物、同じ木でも部位によって香りが異なります。もちろん木全体に樹脂が沈着するわけではありませんから、樹脂の部分を削り出したり部位別に選別したりする工程を経て製品化されます。

天然沈香に対し、植樹し生産した沈香が栽培沈香(人工栽培沈香)と呼ばれています。ラオス、ベトナム、インドネシアなどでは沈香樹の苗木を植林し何十万本という木を育てています。10年くらい育てた沈香樹に小さな穴を開けバクテリアを増殖させ約20~30年かけて生育させるのですが、なかなか高品質な沈香を作り出すことは難しいようです。そのため何らかの加工を施すことも多いのです。栽培沈香は、手の加え方によっていくつかに分類できます。あくまでも私見ですが、天然沈香でも手が加えられる場合が多々ありますので、併せて分類してみました。


沈香樹を栽培する場合、人為的にダメージを与える必要があるためドリルで幹に穴を開けダメージを与えますが、中には化学薬品やバクテリアなどを注入し樹脂の生成を促進させているプランテーションもあります。化学薬品を使用せずドリルで穴を開けるなど物理的処理のみで作られた栽培沈香は、天然沈香の香りに近く薬品臭がすることはありません。

一方で、低品質の沈香に沈香オイルを浸透させたり噴霧して香り付けした加工品や、樹脂を加圧浸透して樹脂を多く見せる処理が施された加工品が多く出回っています。いわゆる偽造沈香(偽物)と言われるもので、東南アジアの店舗で普通に売られている物は偽造品が多くあり、最近では天然沈香との鑑別がかなり難しい精巧な偽造品も出回り始めています。日本でもヤフーオークションなどに出品されている物の7割~9割が偽造品と言われています。

沈香の歴史

飛鳥時代

日本書紀によると、欽明十四年(553年)に香木が大阪の泉に漂着したのが香木伝来の初めとされていますが、聖徳太子伝歴や日本書紀に詳しい記事が残されている595年淡路島に香木が漂着した話のほうが有名です。

推古天皇の三年夏四月、沈水(香)淡路島に漂ひ着けり。其大き一囲、島人沈水を知らず、薪に交て竈に焼く、其煙気遠く薫る、則異なりとして献る。(日本書紀)
推古三年(595年)4月に淡路島に流れ着いた2メートルほどの香木を、その価値を知らない島人が薪と一緒に焚いたところ、その芳香に驚き朝廷に献上した、とあります。この時推古天皇の摂政をしていた聖徳太子は、献上された香木を見るなり「まさに栴檀香、またの名を沈水香木(沈香)」と鑑定されたそうです。

残念ながら沈水香木は漂流しませんから、流れ着いた香木の大きさなどから判断すると、それが栴檀(白檀)であった可能性が高いと思われます。

しかし当時の知識はそれほど深いものではなく、知識の大半は中国からの僅かな情報に基づいていたためと考えられます。後に聖徳太子はこの香木で法隆寺夢殿の観世音像を作ったと言われています。
671年には、天智天皇の葬儀が行われた際に大量の香木が焚かれたとあります。
このようなことから、一部の貴族は香の知識があり、香に触れることができたと思われます。

奈良時代

当時、香はもっぱら仏教儀礼の供香いわゆる焼香として使用されていました。

753年鑑真和尚が渡来し唐招提寺を開山しましたが、同時に香料や医薬品が持ち込まれ、中国で行われていた仏教儀礼での正しい香の作法、煉香の製造方法、間接的に熱を加える焚き方なども伝えられました。

平安時代

奈良時代に伝わった煉香は平安時代には薫物として発展し、平安貴族たちの間で流行しました。彼らは香原料を自ら調合し、自分だけの香りを創りだしていました。薫物を部屋や衣裳に焚き込め、姿を見ずともその香りで誰か識別できたとも言われています。この時代には、今の時代のようにトイレが整備されていたわけでもなく、また湯船にお湯を張って入浴をするといった習慣もありませんでしたから、生活をするうえでも香は必要だったと言えます。

薫物の調合法は各家、各人の秘伝とされ、同時に社交的な教養の一つでもありました。
香の合せ方や調合方法を「方」と呼び、約20種の原料を細粉とし、調合、練り上げ、小粒に丸めて熟成させます。この頃の「香」といえば、「合香」の中の「練香」です。
貴族の間で普及した薫物はやがて六種の大きな主題に分類され、その下で私的な副題を設定するようになります。その中でも、六種の薫物(ムクサノタキモノ)が代表例で、この「六」は、六根・六塵など、仏教の六の意識から考えられたものと思われます。

薫物を作るうちにお互いが香りを披露するようになり、薫物合せへと進展していきます。薫物の香りだけでなく香りの背景までも総合的に優劣を競うようになり、貴族たちの間で盛んに行われるようになります。

鎌倉時代~安土桃山時代

平安末期より武士が台頭してくると、香り文化の主役であった薫物は香木、なかでも沈香にその座を譲ります。 優美な雰囲気をもつ薫物よりも清爽な香りをもつ沈香を武家がより好んだためです。 鎮静効果に優れる沈香は、戦の前の高ぶる気持ちを鎮めるなど、香りの精神性を重用されたと思われます。

鎌倉時代中期以降、中国や南方諸国との貿易が盛んになると、多くの産地より多種の香木が日本に入ってくるようになりました。
良質の香木が手に入るようになると、それまでは供香として続いていた香木中心の焚香が、趣味の香りとして薫物の代わりに普及し始めることになります。
伽羅の概念が生まれたのもこの頃で、有力者たちによる香木の収集も進み、その過程で香りを深く感じる姿勢が生まれました。香りを聞くと言いますが、中国での「聞」は嗅ぐの意味で、日本での「聞く」は理解しようとする、心を傾ける、という意味で捉えられています。

また、室町幕府 八代将軍 足利義政の命により、御香所長官 三條西實隆に師事し古来の香の諸式を学んでいた兵法指南役 志野宗信が、それまで各人が勝手に定めた香を楽しむ様式を、三代将軍 足利義満に武家の礼法を伝えた小笠原長秀によって創られた小笠原流を採り入れた新しい香道の様式「志野流」の基礎を創りました。これにより、三條西實隆によって宮中の方式を継承し纏めた「御家流」の二派が生まれました。この時、三条西実隆(御家流流祖)や志野宗信(志野流流祖)を中心に「六国五味」という分類法が編み出され、用具や聞香方式も様式化され、香道が成立していきます。これに伴って、香木、特に伽羅及び沈香の付加価値は次第に増大し、権力の象徴的側面を持つようになります。

沈香のその幽玄さと微妙な香りの違いから、当時台頭し始めた武士が好み、勢力や財力を得た地方大名が競って香木を買い集めその優劣を競う遊びが盛んになりました。中でも平安王朝の美意識や価値観と真っ向から対立する事による自己主張の一つの現われが婆裟羅(バサラ)者と呼ばれる武士達で、佐々木道譽がその代表と言えます。その後、この風潮は歌舞伎者と呼ばれ、織田信長や伊達政宗ら時の武将へと継承され、茶の湯や立花、香は富みや権力の象徴とされ、その良さを競い賭け事の賞品や褒賞としての意味を持つようになります。

織田信長は自らの権威を示す為、東大寺正倉院の蘭奢待を勅許を得て切り取りました。この蘭奢待は信長の他にも足利義政、明治天皇によって切り取られています。しかし2006年1月の大阪大の米田該典助教授(薬史学)の調査によれば、合わせて38ヶ所の切り取り跡があることが判明しています。切り口の濃淡から切り取られた時代にかなりの幅があり、同じ場所から切り取られた可能性もあることから、これまで50回以上は切り取られたと推定されます。現在の蘭奢待の重量は11.6㎏ですが、東大寺に奉献された当初は13㎏程度あったとされています。
一説によれば、武勲や手柄を立てた武将に国や城を与えていたのでは到底数が足らないと考えた織田信長は、国や城に代わる価値のあるものが必要であると考え、一国一城よりも価値のあるものとして、武勲や手柄を立てた武将たちに切り取った蘭奢待をさらに細かく切り分けて与えたと言われています。
蘭奢待の中空部分は樹脂を含んでいない部分をノミで削り取ったためで、この方法は9世紀以降から行われているとされています。これらのことより蘭奢待の渡来は全浅香よりも新しいことが推測できます。また豊臣秀吉など他の権力者も香木の収集に熱心で、中でも徳川家康の香木への執心は群を抜いていたと言われています。

江戸時代

徳川幕府により政情は安定し、元禄時代には経済が急成長し貨幣経済が農村部にも浸透してきました。これにより高級香材の使用が一般社会にも広がり、香文化も貴族や武士階級のみならず経済力を持った有力町人層にまで広く浸透しました。上流階級では男性の必須教養の一つとまで言われるようになりました。香文化の普及とともに、香道の中でも香りを聞き当てる組香が創作され、それを楽しむための道具が作られるようになりました。やがて充実期を迎えた香道では、七夕香や源氏香、競馬香など時代を反映した視覚的で華やかな組香が多く考案されました。

16世紀半ば以降には線香が普及し始めましたが、その頃はまだ中国からの輸入品でした。その後、中国から線香の製造技術が伝わり、国産化は17世紀末から18世紀初め頃と言われています。その製造方法は、当時から現在まで基本的に変わりません。この線香は庶民の間にも広く普及し、当時は時計代わりに計時にも使われました。

近代~現代

鎖国が廃止され、明治時代になると貿易は拡大し、日本は国際化の一途を辿り一挙に西洋化へと進んでいったのです。その結果、これまで長い時間をかけ築き上げられてきた多くの日本文化は衰退せざるを得ない状況となってしまいました。さらには、日本が経験した戦争や香原料原産地での戦争、乱獲による原料の枯渇、香木の高騰など厳しい状況はまだまだ続いています。それでも仏教儀礼では香が焚かれ、家庭でも線香が焚かれ生活に根付いたものとなっています。

近年の日本では、古来よりの日本文化を見直す流れが起きており、日本人における香文化もそのうちの一つであると言えます。

沈香の種類

沈香の種類

香りというものを系統的に捉えるには、香りや香木の性状、産地などから分類することが必要になってきます。ところが、香りはその感じ方に個人差があり、産地についてはあまりにも広範囲なため、かなり難しい問題でした。さらには同じ香木でも部位によりその香りは異なります。

日本においては、室町時代にそれまで各人が勝手に定めた香を楽しむ様式を統一するため、八代将軍 足利義政は後に香道志野流の祖となった志野宗信(号松隠軒)に将軍家所蔵の名香百八十種を分類するよう命じ、さらには、後に香道御家流の祖となった三條西実隆所蔵の名香六十六種を精選させ「六十一種名香」を定めました。これは、全国から集められた名香の中から、先ず11種(伽羅 6種、羅国 3種、真那伽 2種)を、次いで50種を選んで61種としたもので、その内容は、伽羅(きゃら)41種、羅国(らこく)6種、真那蛮(まなばん)9種、真那伽(まなか)5種とされました。

これを基に、16世紀の初めに香の種類を4種と定めました。その後、需要が増え輸入品である香木の数量が不足し、さらには遊び方の多様化から種類が不足してきたため、17世紀末に佐曾羅(さそら)、寸聞多羅(すもたら)の2種を追加、さらに伽羅を古伽羅と新伽羅とに分け、現在香木は7種に分類されています。その過程で、香木の香りの種類を「六国五味」としたと言われています。
六国とは、全ての香木は伽羅・羅国・真那賀・真南蛮・佐曽羅・寸門陀羅の6種に分類されるということで、木所(きどころ)とも言われています。黒いという意味の梵語からとられた伽羅を除く5種は、元々産地を示し、日本語表記には様々な当て字があります。
五味とは、香木の放つ匂いや特徴を、日頃身近な味覚や臭覚を用い表現したもので、甘、酸、辛、苦、鹹(しおからい)の5種の組み合わせで表現されます。

六国五味の確立は、香道を系統化するうえで必要な標準となる基準を定めたものであり、とても重要なものとなりました。しかしながら香りの感じ方には個人差があるため、六国五味を客観的な基準とすることは困難でした。そこで家元や宗家によって経験的に継承された香りの基準、すなわち手本木を典拠として判定するようになりました。

木所産地香りの特徴
伽羅(きゃら)ベトナム産五味に通ずる
羅国(らこく)タイ産甘味
真那賀(まなか)マラッカ産無味
真南蛮(まなばん)インド東海岸のマラバル産酸味、苦味
寸聞多羅(すもたら)インドネシアのスマトラ産苦味、鹹味
佐曾羅(さそら)インドのサッソール産鹹味

沈香は産地によって「シャム沈香」、「タニ沈香」と分類されることもあります。シャム沈香は、インドシナ半島(タイ、カンボジア、ベトナムなど)で採集される沈香で香りの甘みが特徴、タニ沈香はインドネシアの島々で採集される沈香のことで香りの苦みが特徴です。

中国では日本と異なり、香りよりも外見を重視する傾向があるため、伽羅を色の特徴から緑油、黒油、紫油、黄油、白川緑油などと分類します。

ランクや等級については、特に統一された国内基準や国際基準、規格などはありません。香舗や取り扱う業者によって、その外観や香りにより「S・A・B・C・D」「松・竹・梅」「最上・極上・上」といったようにランク分けされています。このように各業者がそれぞれの基準で表示しているのが現状です。